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悠学舎・児童館スクールの塾生への応援メッセージです

【5月26日(月)】  三浦雄一郎さん おめでとう
 三浦雄一郎さん おめでとう    【5月26日(月)】  

  「涙が出るほどつらくて、厳しくて、うれしい。
              本当にありがとう、ありがとう。」


 三浦雄一郎さんのエベレスト登頂後の喜びにあふれた第一声だったようです。
75歳という高齢にもかかわらず本当にお疲れ様でした。
本来なら世界最高齢になるはずだったのですが、前日の25日に76歳のネパール人男性が登頂に成功したため、残念ながらその栄誉は(のが)しましたが、見事な快挙には違いありません。
我々に勇気と、人間の可能性に対する自信を与えてくれたことに感謝したい気持ちでいっぱいです。

 それにしても、ご本人の並外(なみはず)れた努力はもちろんですが、見事な家族のチームワークでした。
特に、スポンサー探し、広報、庶務と裏方の仕事の多くを取り仕切った長女の恵美里(えみり)さん。
遠征に同行しベースキャンプで情報通信を担当したシステムエンジニアの長男、雄太(ゆうた)さん。
心臓に不安を抱える三浦さんの体調管理や、主治医に送信するデータ作りを担った、プロスキーヤーの次男、豪太(ごうた)さん。
遠征隊の食事に使う食材の調達を一手に引き受けたという最愛の妻朋子(ともこ)さん。
まさに家族一丸となっての快挙の達成だったようです。
最近家族関係の希薄(きはく)さが問題にされますが、まさにお本にしたいような濃密な家族関係ではないでしょうか。

「涙が出るほどつらくて、厳しくて、うれしい。」 
  
いいことばですね。三浦雄一郎さんの足跡を思い浮かべながらじっくり味わいたいと思います。
 

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【5月25日(日)】  若き日の福澤諭吉(2)
  若き日の福澤諭吉(2)   【5月25日(日)】

 兄・三之助
の死により故郷中津藩(大分県)に帰った諭吉(ゆきち)は福澤家の主人になっていた。
そのため、簡単には大阪には戻れず、門番の仕事をしながら、悶々とした日を送っていたが、遂に
たまらず、母親の了解を取り付けて安政3年(1856年)11月再び大阪に出てきた。
師・緒方洪庵は大いに喜び食客生(しょっかくせい)として迎えてくれた。
 ちょうど
篤姫12月18日の輿入れの準備のため、江戸城に入城したころだった。

 
それからの諭吉は以前にもまして勉学に励み、遂に半年後、洪庵より適塾(てきじゅく)の7代目塾頭」
指名された。
塾頭になった諭吉は、単に書物を読むだけでなく、塩酸亜鉛を作って(すず)メッキをしてみたり、馬の爪の(けず)りくずから塩酸アンモニアを作ったりと、次か次へ新しいものを作ることに挑戦していった。

 1858年(安政5年)諭吉は
中津藩の蘭学の先生として江戸へ呼び出された。
それまで中津藩では、松代藩の
佐久間象山(さくましょうざん)に洋式砲術を教わったり、薩摩藩の伊東玄朴(いとうげんぼく)より洋書の読み方を教わっていた。
諭吉は中津藩の鉄砲洲(てっぽうず)にある中屋敷の長屋に一軒を与えられここで中津藩の子弟たちに教えることになった。
    これが後の
慶応義塾(けいおうぎじゅく)の原型となる小さな塾の始まりであった。
 
 この頃、年は同じだが適塾の先輩にあたる
橋本佐内が「安政の大獄」により奉行所に拘留されており、同じく適塾の先輩になる2代目塾頭・大村益次郎とともに心配をしていた。
長州出身の大村益次郎はすでに江戸で
鳩居堂(きゅうきょどう)という蘭学塾(らんがくじゅく)をやっていたが二人の力ではどうすることも出来なかった。

 
1859年(安政6年)5月28日幕府は神奈川(横浜村)、長崎、函館の3港を、ロシア、フランス、イギリス、オランダ、アメリカ、の5カ国に対して開放し、自由貿易を許可した。(神奈川条約
そのため横浜には多くの外国人が集まるようになった。
諭吉は何とか外国人と接触して話をしてみたかったので、ある日鉄砲洲(てっぽうず)から横浜までやってきたが、看板の字も読めないし、オランダ語で話をしても、まるっきり通じない。
この数年間、まさに寝食を忘れて必死にオランダの書物を読んできたのは、いったい何のためだったのか。
新しい外国語の知識を身につけて、開国後もきちんと外国人と対等に渡り合えるようにするためではなかったのか。それが無残にも打ち壊されてしまって、意気消沈して長屋まで帰ってきた。

 ここからがすごい。「
洋学者にして英語を知らないのは、酒屋に酒がないようなものだ」と、思い切って方向転換をしてしまった。
ちなみに、
大村益次郎のほうは、英語は必要ない.時間の無駄だと、むしろ諭吉をとめにかかった。
当時江戸にもまだ英語の出来人は少なかったが、
ペリーの再来のときや、プチャーチンが再来したとき通訳をした森山多吉郎という人に頼み込んで教えてもらうことにした。
しかし忙しい森山だったので、出勤前の朝しか時間がなく、なんと2里(8km)の道のりを毎朝歩いて習いに通ったがいつも教えてもらえるとは限らずなかなか上達しなかった。
この頃ここで書生をしていた
福地源之助(ふくち げんのすけ)に出会っている。

 その後
蕃書調所(ばんしょしらべしょ)箕作阮甫(みつくりげんぽ)に入門を願い出、許可された。
それだけでなくあちこちに声を掛け英語をともに学ぶ同士を探し、一緒に苦労をしながら英語に打ち込んでいた。
そんな
安政6年(1859年)の暮れ、幕府が日米修好通商条約の批准書(ひじゅんしょ)交換のためアメリカに使節を送り、そのとき随行艦(ずいこうかん)が一隻行くらしいといううわさを聞きつけた。
何とかアメリカに行ってみたいと言う気持ちがつのり、(つて)を求めて提督の
木村摂津守(せっつのかみ)を紹介してもらい直談判の結果何とか一行に加えてもらえることになった。
安政7年(1860年)1月13日諭吉の乗った咸臨丸(かんりんまる)は大きな夢と期待をのせて品川沖から出航した。
諭吉の飛躍の始まりであった。
 
 ちなみに、昨(安政6年)10月7日、
橋本左内処刑。10月27日、吉田松陰斬首(ざんしゅ)の刑
国内では「
安政の大獄」という嵐が吹き荒れていましたが、それも諭吉がサンフランシスコでアメリカ人たちに歓迎されている3月3日桜田門外で大老井伊直弼(いいおすけ)が暗殺され一段落を迎えることになりました。

【5月24日(土)】  若き日の福澤諭吉
   若き日の福澤諭吉(ゆきち)〈1〉   【5月24日(土)】

 福澤諭吉が蘭学を始めることになったのは19歳のときだった。(安政元年・1854年)
帆足万里(ほあしばんり)に儒学を学んでいた兄・三之助が、自分の代わりに長崎に行ってオランダ流の砲術を学ぶように勧めたからだった。
前の年(嘉永(かえい)6年・1853年)ペリーが来航して以来、外国の脅威備えて砲術の必要性がにわかに叫ばれ始めていた。
諭吉はそれまで漢書を学んでいたが、特に難解といわれている「左氏伝」(さしでん)を15巻すべて通読し、それも11回も読み返しすべて暗記していたようです。
 
 長崎に遊学した諭吉は、薩摩藩から長崎に学びに来ていた松浦鼎甫(ていほ)という医学生について学び始めたが、すぐに物足りなくなり、学に優れているといううわさを聞けばだれかれかまわず訪ねて行き教えを乞うたようです。
その後、高島流砲術(ほうじゅつ)の流れを汲む砲術家の山本物次郎(ものじろう)の家に食客(しょっかく)として入り込み、すぐにその家の一切を取り仕切るようになった。
しかし好事魔多(こうじまおお)しというように、彼の成長を(ねた)むものが策を(ろう)し中津藩(大分県)へ帰るように仕組んだ。
しかし中津藩に帰る気のしない諭吉は江戸で勉強しようと、友達の(つて)を頼って江戸へ向かった。

 途中、当時大阪にいた兄・三之助の下に立ち寄ったところ反対され、大阪で緒方洪庵(おがたこうあん)
適塾(てきじゅく)
で学ぶことになった。
388人目の弟子
だったようです。ここからが本当の蘭学修行であった。(安政2年・1855年
 
 このころの勉強の仕方は、先生の授業を聞くのではなく、「会読」(かいどく)という方法であった。
これは皆の前で自分の分担分の原書を読み、訳し意味を説明するというやり方だった
これが月に6度ぐらいあった。一見簡単なようであるがこれがなかなか大変なことであた。

 まず、会読に決められた原書は一冊しかなかったから、それぞれが写し取って会読に臨まなければならなかった
原書を読みくだくには、辞書に頼るしかほかに道はなかったが、その辞書も一冊しかなかった
しかも分からないからといって、誰かに聞くことは出来ない。
  会読本については一言半句(いちごんはんく)も他人に聞くことはご法度(はっと)だった
 
 だから当の諭吉むさぼるように勉強している。ほとんど昼夜の区別もなく、日が暮れたからといって寝ようともせず、読書に疲れて眠くなれば、机に()()して眠った。
 布団を敷き、夜具(やぐ)をかけて枕をして寝たことはただの一度もなかったようです。


 すさまじい学習量です。これだけ真剣にやればかなりのことが出来るはずです。
しかし不幸なことに安政3年(1856年)3月腸チフスにかかり緒方洪庵の必死の治療のもとやっと回復したが、その年9月に、兄三之助が死んでしまい中津に帰ることになり、「適塾」での学習は一時中断ということになる。

 時代が違うから当然といえば当然ですが、今の我々がいかに学習環境に恵まれているか改めて痛感します。
何かが足りないから勉強できない」なんてのは単なる甘えに過ぎないということがよくわかります。

【5月23日(金)】   困難が人を成長させる
   困難が人を成長させる   【5月23日(金)】  

 女子バレーが韓国を破り5連勝で北京五輪の出場を決めました。おめでとう。
喜びの中で、竹下主将の第一声は「やっと北京のスタートラインに立てた」でした。
五輪出場権を得て浮かれる様子もなく、次の勝負に賭ける気迫のようなものが伝わってきます。

 勝利の原因の一つに「今回は一人ひとりの気持ちが引かず、点を取るという強い意欲があった」意気込みの強さをあげていました。
前回のアテネ五輪では、準々決勝で負けていますが、「出るだけで満足した自分がいた」という
悔いを残し、反省の4年間を送ったようです。
  
 竹下主将高さとパワーがものをいうバレーボールで159cmと身体はひときわ小さいが、
そのハンディーを決して言い訳にしない。
「私じゃなきゃ出来ないことがる。諦めたら逃げたことになる。」反骨心を原動力に、走り続けチームを北京五輪に導いた。
途中決して順風ばかりではなかったが、
  「いいことも悪いこともあった。でも困難が人を成長させると信じてきた」とすべて前向きに対処して、「死に物狂いで戦う」思いをトスに込め北京五輪の切符を手に入れたようです。

 何かを成し遂げる人、手に入れる人は、やはりすごいものです。
         我々もいま自分に出来ることに全力でぶつかっていきましう。

  

【5月14日(水)】   修行
  修行(しゅぎょう)   【5月14日(水)】  

 人間は、くやしいからこそ、泣きながらでも勉強する。
だから我々のほうでは、修行中の者には、ムリにも悔しがらせるように仕向けます。
 つまり悔しがらせることで刺激を与えるわけですな。
そういうことを昔は師匠がやった。師匠がやらなければ兄弟子(あにでし)がやった。
しかし中には、悔しいといって失敗する人もありますよ
     私は、そういうのは、(こころざし)がないからじゃないかと思う。

あれば、見返してやろうとするだけの実力をつけるはずですから。

そりゃ、勉強にしろ修行にしろ、厳しいものであるし、つらいものでもある。だから、
 悔しくて失敗する人というのは、結局、それに耐えられなかった人ということになります。

ま、そういう観念論でなくても、悔しいからといってくじけて勉強しない人というのは、
よく観察するとわかるが、大体刹那的な遊びごとが好きです
那的な遊びごとの好きな人には、金銭ばかりじゃなしに、才能まで浪費する人が多い。

 その逆が、貯金をする人です。
貯金が出来る人というのは忍耐力があるし、金銭以外のものも、貯蓄する精神があります。
やはり、貯蓄してゆく精神のものでないと、いかんのじゃないですか、勉強とか修行の道に入るものは。

 話がもとに戻りますが、だから
    貯蓄の心のあるものは、たとえ悔しい目にあっても、それに耐えていける。

そこがまた師匠や兄弟子のねらいなわけで、なんかこう、昔は
     くやしがらせることが、仕込む定石(じょうせき)みたいなもんだった。
そしてそれで発奮する。そこがいいんじゃないですか。
 それで辞めていくようなやつは、何をさせてもダメなんで
               そういうのは間引いてゆくということで、いいことですよ。
  ま、一種の自然淘汰というわけです。

             升田幸三 著   人生は日々これ戦場  『勝負』  より

【5月12日(月)】  一心こそ成功の秘訣
  一心(いっしん)こそ成功の秘訣    【5月12日(月)】  


 一心(いっしん)になれる人というのは、自分の人生を完成しますな。
世に言う成功者の秘訣というのは、これじゃないかと思う。

 なんか、将棋の経験から割り出して言うんですが、
          一心になりきれたときは、やはりいい将棋を指せましたよ


ああもあらんか、こうもあらんか、このほうは悪いからあれにしてみようか、
        こういうときはどうしても結果的によくない。
やっぱり狙いをつけた一心さ、ですね。そういうときは、かりに失敗しても、
      非常にいい経験というか、次の「知恵」になります。
心になってないと、以後のための知恵といいますか、いい()やしにならんじゃないですか
 
 もっとも同じ一心といっても、早く見切りをつけて、切り替えてよかった、そういうこともあるでしょう。
どうしてもつぶれていく会社の株ばかり一心に買うてだな、借金に借金を重ねて、
    お(しま)いは首をくくって死ぬというのもあるが、これは一心じゃない。
 
 一心というのはタテからもヨコからも、あらゆる角度から研究する態度もそのうちなんでね
   つまり、「創意工夫」という意味がある

 ただ一心に、というけど、「コケの一心」じゃ、そのぶんはあまり買えない。
前後左右の見えるそれでなくては、本当の意味で一心にやったということにはなりません
 
 ぼくなんか、子供のころを振り返ってみますと、ただ一心だった。
だから、あれはよう金を儲けとるが、それがうらやましいとか、楽をしようとかいうよりも、
      ただ技術を磨くことに一心だったと思います
ほかの事に、あまり気が向かなかった。これがよかったんじゃないかと思います。

                    升田幸三 著  人生日々戦場だ 「勝負」 より

 色々迷うことの多いことですが、「ただ一心(いっしん)に何かに打ち込む」
    いい言葉ですね、心に留めておきましょう。


【5月11日(日)】  「臆病」の効用
  臆病(おくびょう)効用    【5月11日(日)】

 「臆病(おくびょう)」というと人は顔をしかめるが、しかし臆病なるがゆえにいい、という面もあるのです。
というのは「ひるむ」臆病でなくて、警戒心を持つほうの臆病ですね。
これがあるゆえに慎重になる、それがいいんです。
    だから人間、臆病さのない者は必ず間違いをおこす
それがあればこそ、自分を守ろうとする「知恵」が出てくるんで、臆病は終生(しゅうせい)、持つべきものです。

 実は私も昔は、臆病はよくないと判断していた。が、今は違います。
いかんのは怖がって後ろに引き下がってしまうことであって、警戒心とか注意力とか、
あるいは「てんぐ」にならんようにするためには、むしろいいんじゃないか。
神の指令で人間の心にはちゃんと臆病さがあるんだから、
        この自然にそなわったものを恐れたり、粗末にしちゃいかんと。・・・・・・・

 だから「臆病」というものを「ひるむ」というふうに受けとらず、
                  注意心、謙虚さ、そうとってゆくことです
後退しちゃしょうがないんで、ま、大丈夫と思うけど、あの(かど)からどんな拍子で子供が飛び出すかわからんから、いつでもブレーキがかけられる体勢で進む、これが臆病の効用ですね。

                    升田幸三 著  人生は日々これ戦場「勝負」 より

 我々男にとって「卑怯者(ひきょうもの)」とか「臆病者」といわれるのはまさに最大の侮辱(ぶじょく)
なんとかそんなふうには言われない男になろうと若いころは努力したものです。
ただあまりそれにこだわると、「蛮勇(ばんゆう)」に走る(きら)いがなくもなく、十分注意が肝要です。

【5月10日(土)】 自己暗示
  自己暗示     【5月10日(土)】 

 『私は自己暗示というのは、人生にとって非常に大事なことだと思う。
たとえば自己暗示というのは、
 成功する人と不成功に終わる人との関係じゃないか
と思っている。

不成功に終わる人
というのは、
 自己に無意識のうちに自信喪失させるような暗示をかけている
おれはもうダメだとか、終わりだとか、終始ぼやいたりして
 自分を奈落(ならく)の底に落ち込ませるような自己暗示
をね。

逆に伸びる人
というのは、いつも自分を向上させるような暗示をかけてますよ。
ここに、わたしゃ分かれ道があると思う。
 同じことでも、自信をつけるのと奈落の底へ落ちるようにしむけるのとでは、これ、天地の差がありますよ。
これがまあ、天質というのか、素質があったからそういうことを会得(えとく)したというのか、
     とにかく、ここに一つの人生の別れ道があると思います。

頭の出来ぐあい
なんていうのは、人間そう違ったものがあるわけじゃあない
  いくらいいからって、、脳ミソが人の倍も、三倍もあるわけじゃなし・・・・・・。
そのちょっとしたことだと思いますよ。
 
 私はもともと、人生というのは、一手違(いってちが)だと考えているんです。
                  将棋でいう一手の差で、もう勝敗が決まる
全局のことでも、また局部、局部のことでも、
その一手の差を貴重に、そして最善を尽くす人が「勝ち」にゆく

 わけで、一手ぐらいなどといって、気楽にしとるやつが、結局敗北につながる。

 自己暗示というのは、
そういう微妙な人生のアヤを乗り切るためにも、
    心の内側から支えてくれる、大切な要素だ 
と思います。』

              升田 幸三 著  人生は日々これ戦場 「勝負」 より

  この一手の違いが、10年、20年たつと、とてつもなく大きな差となってきます。
自分を向上させるような、いい自己暗示」を与えることによって、
        人生「勝ち」持っていこう。

 * 升田幸三氏は倉敷出身の大山康晴名人の兄弟子にあたる人で、
将棋史上初の三冠を成し遂げた。そのとき「たどり来て、未だ山麓」の名言を残した。
 
 大きな功績を残したが、戦争中に患った病気が元で体調を壊し、休場が長く、
タイトルなどの実績面では大山に押され、永世名人などの称号を得ることなかったが、
順位戦
A級から一度も陥落したことがなく1979年に引退した。
このため将棋連盟では升田のために新たな称号を作って「実力制第4代名人」の称号を贈った。

【5月9日(金)   『雨降って地固まる』
   『雨降って地固まる』     【5月9日(金)】

 『時に激論(げきろ)、喧嘩の勇なかるべからず。
    いきどおりの発するに(およ)んでは、
           千百の小理屈(こりくつ)を踏みつぶすべし。』


「雨降って地固まる」という言葉もある。
激論、嘩のあとに本当の仲良しになれる場合が世の中にはなかなか多い。
長い私の財界生活においても、事業上の頑張り合いから、かえって相手の人がどういう人であるかがはっきりわかり、それ以来お互いがいっそう懇意になった例も少なくない。
 
 交際の円満円満ということばかりをおもんばかって、何事にも遠慮にすぎることは、
    決して本当の円満を期する所以(ゆえん)ではない。

時に言いたいとも言い合って、腹の底の底まですっかりサラケ出して、思い切った喧嘩をするのもいい。
(いきどお)りを発することの出来るのは、それだけ人間が正直であることを物語るものだ。
 
 これは「人を()るに寛大なれ」といわれた前の訓言(くんげん)といささか矛盾するようにも思われるが、決してそうではない。
つねづねの寛大を心掛ければこそ、
時には、事次第によっては、激論、喧嘩の勇なかるべからず
と、人間交際法の一種のテクニック(技術)を申し添えられたものである。
怒るとコワイ人というのは、つまりは普段はあまり怒らない人ということを意味するのである。

                 藤原銀次郎 著  『福澤諭吉 人生の言葉』  より

 「日中友好」という(にしき)御旗(みはた)を掲げて、言いたいこともいえない今の政府の方々に
じっくり味わってもらいたい言葉です。

【5月8日(木)】     「教育は植木屋の如し」
「教育は植木屋の如し」     【5月8日(木)】 

『教育の要は、
  人生本来になきものを造り、これを(さず)くるものにあらず。
  ただあるものを悉皆(しっかい)発生せしめて、(のこ)すなきにあるのみ。』

  
        *悉皆・・・・・ことごとく

 「教育は植木屋の如し」
とも先生(福沢諭吉)はいっておられる。
植木屋は決して、今までなかっような珍種珍木(ちんしゅ ちんぼく)を作り出すものではない。
松は松、杉は杉なりに、その(ところ)を得させて植え込み、枝を正し、根をやしない、
   松、杉それぞれの特色に応じて大きく育て上げるのである。

 無から有をみ出すことは、奇術師でも実のところは出来っこない。
教育は本来、奇術でもなければ、手品でもない。
したがって、人間にもともと持ち合わさぬものを造り出したり、授けたりすることはできない
英語のeducation(教育)という言葉でもハッキリわかるとおり、
      ただその中にある本質をヒキ出すものである。
伸ばせるだけのものを伸ばして、残るところなく各自の才能を発揮させることである。

 
 それには学校というものも必要である。教師というものも必要である
しかし、中でも一番必要なものは
自分自身で自分自身の才能を
   拡げよう、伸ばそう、完成させようという自意識であって

  実はそれを上手に引き出すのが、教育というものだと先生はおっっしゃっている。
                 
                  藤原銀次郎 著  『福沢諭吉 人生の言葉』 より

 『啐啄』(そったく)という言葉を思い出します。
(そつ)
は、ひなが卵の(から)を破って出ようとして鳴く声(たく)は、母鳥が殻をつつき割る音で、   禅宗で導く師家(しけ)と修行者との呼吸がぴったりと合うことをいいます。

 
我々も諸君の「力をつけよう」という努力に、タイミングよくぴったり応えられるよう
日ごろの精進を重ねたいと思います。
  
それぞれの目的達成のために、一緒にがんばっていきましょう。

 








【5月7日(水)】 成功する人
 成功する人     【5月7日(水)】 

 『成功するにはとにかく努力を怠ってはいけない
汗を流さず成功すれば、かえって不幸になる。
 成功する人は、とにかく非常に努力家である。汗を流すことをいとわない。
  本当の知恵が汗の中から出てくることを知っているからである。
努力をしなくても宝くじに当たるように成功することがないとは言わない。
しかし、努力を続ける人が成功することに比べたら、その確率は限りなく低い。
そして興味深いことに、近道で成功した人は、その近道をしたことによって失敗してしまう。』

 『成功するには、努力とともに辛抱することを忘れてはならない
もう、投げてしまおうかと思ったとき、後一歩の辛抱を出来る人が成功する
 ひとたび事を始めた以上は、少々うまくいかなかったり失敗したからといって、
         簡単に諦めてはいけない。
途中で諦めてしまえば、そこで失敗となる。
問題が起こっても、次々と工夫を凝らして解決していくことだ。
くじけることなく、けっして諦めない。
  成功するまで続けていくそうすれば必ず成功する。

          江口 克彦 著   『いい人生の生き方』  より

 以前にも紹介しました西脇の織物会社の社長・片山像三さんも、何度も失敗を繰り返しながら
『諦めなければ失敗ではない。
        諦めずに努力すれば必ず道は開ける』
 
   と目標達成に向けて今も努力を重ねておられます。(2月20日)




【5月5日(月)】   天は二物を与えず
  天は二物を与えず     【5月5日(月)】 

 学生時代の友達が久しぶりに福井県から遊びに来て、久米南町の誕生寺(たんじょうじ)ま行ってきました。
ご存知の通り誕生寺は浄土宗の開祖・法然上人の生誕地に鎌倉時代初頭に建てられたもので、
現在の建物は江戸時代中期(17C末ごろ)再建されたもののようです。
 山門をくぐるとすぐに、樹齢900年に近い大銀杏の木があり、本堂もなかなか立派なものがありました。
本堂の中で「天は二物を与えず」と書いた手ぬぐいがありました。
なかなか面白いことが書いてありましたのでご紹介します。参考にしてください。


 『 ツノある牛は(あゆ)むが遅い
         ツノない馬は走るが早い

  器量のよい人愛想(あいそ)が悪い
       愛想のよい人器量がもう一つ
       愛想も器量もどちらもよけりゃ
       これまた身体(からだ)が弱くて病院通い

  金のあるとき暇がない
       暇のあるとき金がない
       お金お金と無理してためた
       たまった途端(とたん)生命(いのち)が持たぬ

  家も新築お金もできたが
       肝心要(かんじん かなめ)の子ができぬ
       出来た出来たとちやほやしたら
       ためたお金を湯水(ゆみず)と使う

  お金も子供も言うことないが
       もらった嫁ごが気に入らん
       生んだ我が子も親にたてつく世の中だ
       他家で生まれた人じゃもの
       辛抱するのが当たり前

  二つ揃ってよい事ないと
       悟るまでには月日がかかる
       わかりかけたらこの身の終り
       ほんに浮世(うきよ)はままならぬ 』

                  美作  
 誕生寺(たんじょうじ)

 
高杉晋作の辞世の句に
面白(もしろ)きこともなき世を 面白く すみなすものは 心なりけり』
   というのがあります。
 
 とかく浮世はままなりませんが、
     面白くするのは自分次第、心の持ちようです

          すべて楽しんで生きていきましょう。



【5月4日(日)】   良い習慣
  良い習慣     【5月4日(日)】  

 『ある種の習慣は、すべての若者が身につけてしまう。
まず、時間の使い方や仕事の仕方、考え方や感情に、
           ある特定のパターンが生ずるようになる
。すると良くも悪くも、
  それはやがてその人の一部、
             第2の天性になってしまうのだ
。・・・・・

  だから、できるだけ若いうちに、ぜひ良い習慣を身につけていただきたい。』

 『それがなんにせよ好ましい習慣を身につけられるかどうかを案ずる必要はない
       必ず身につけられるからである
 しかも、始めに思っていたよりもずっとたやすく身につけられるからである。
同じこと、同じ仕事を、
      毎日同じ時間に繰り返すようにするのである。

   そうすると、それは間もなく楽にやれるようになる

 始めのうちどんなに面倒くさいものでもかまわない。
どなに面倒くさくても
   ただひたすら毎日、例外なく規則的に繰り返していれば
          間違いなく楽しいものになる。

 
すべて習慣とはこのようにして形成されていくものなのである。

          ジョン・トッド 著 (渡部 昇一 訳)  『自分を鍛える』 より

 「良い習慣」を身につける必要があるとは、よく言われることだが、
        なかなかうまく思惑どうりいかないのも現です。
この機会に一念発起(いちねんほっき)して再度「良い習慣」獲得のためにチャレンジしてみてください。

  どんなに面倒くさくても
    ただひたすら毎日、例外なく規則的に繰り返してみよう。


【5月3日(土)】   「知識」と「知恵」
    「知識」と「知恵」     【5月3日(土)】   

 『知識は単に得ればよいというものではなく、
知識を積み重ねて理解していく中で「知恵」に変えないと活かすことはできない

たとえば、金槌(かなづち)やカンナなどの大工道具も、
          ただ持っているだけでは無用の長物(むよう ちょうぶつ)だ。
どこで、どういうふうに使ったらいいか」は、知識では分からない。
     使う技能があって初めて生きたものになる。』

『つまり、何かを「覚える」、それ自体が勉強になるのではなく、
    
それを理解しマスターし、自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものにする、
         その過程がもっとも大事なのである。』


                           羽生(はぶ) 善治(よしはる) 著  「決断力」 より

 数学の苦手な人を見ていると、
   公式は知っているけれど問題解けない
、という人が時々いる。
やはりいろいろな問題にあたって
     公式の使い方をマスターしなければ宝の持ち腐れになる。
問題を解くとき、意識していろんな公式を頭に浮かべ、
  どれをどんな風に使っていけば解決に至るか色々やってみてください

そうして試行錯誤することが必ずあなたの数学力のアップにつながっていくと思います。
 ところで、公式さえ覚えてないのに、数学が苦手だという人は論外ですから、念のため。

【5月2日(金)】   訃報
【5月2日(金)】   訃報

 夜10時ごろでした。まだ授業中でしたが、仲間の先生が亡くなったという連絡が入りました。
昨年脳梗塞で倒れ、その後次第に回復していたように見えましたが、今度は末期の肝臓癌と診断され、手術することもできない状態で最期を迎えられたようでした。
ゴールデンウィークを前にまことに残念なことでした。
 何か、未だに信じられませんが、心よりご冥福をお祈りいたします。





【5月1日(木)】   努力
   努力       【5月1日(木)】   

 『これから後の人生であなたが手に入れるものは、
すべて努力懸命なたゆまぬ努力≫の成果であるはずだ。
あなたには、励ましてくれる友人助けとなる書物、そしてがいる。
他にも様々な援助がある。
しかし自分の知力を(きた)え養っていくのは、結局あなた自身でなければならない
だれもあなたに代わってこれをやってはくれない。
そして、この世で価値のあるものには何であれ、
       すべて努力という代価(だいか)が支払われているのだ

真に優れているものには必ず辛抱(しんぼう)強い研究がつきものなのである。
頭脳を鍛えることも広く知識を身につけることもなく、
   何かの偶然
で世の中にのし上がったような人物は、
       一時的にあやしげな光を発しただけのことである。
 とにかく、われわれがものを手に入れるには必ず努力をせねばならないのであり、
いやしくも自分が所有したり他人に提供したりする価値のあるものには、
すべて努力という代価が必要なのだ。この事実にはいっさい例外はない。』

            ジョン・トッド 著  (渡部昇一 訳)  「自分を鍛える」 より  

 「大切なものを手に入れる」ためには、「辛抱強い研究」、「懸命なたゆまぬ努力」
が必要だと強調されているが、天才的な科学者といわれるアイザック・ニュートンですら
『自分と他人の知力の大きな、そして唯一違いは、
       自分には
より強い忍耐力があるだけのことだ』
と言っています。
  凡人である我々はなおさら辛抱強く努力を重ねていくことが必要でしょう。
      






【4月30日(水)】  「本気」で生きる

   「本気」で生きる    【4月30日(水)】     

                                                                

 最近のこどものの間から「本気」で何事かに取り組む姿勢が薄れているように感じられますが、日本バレーボール協会名誉会長の松平康隆氏は、

大人たちが子供たちから困難を取り除きすぎたのではないかと、指摘されています。

そして自分の体験から次のように、エールを送ってくれます。かみ締めて、味わってみましょう。


『私はミュンヘンで優勝するまでに、二度逆境を味わいました。

   一つは大学生のころの貧乏生活

もう一つは東京オリンピック前後の男子バレーの屈辱(くつじょく)時代です。

逆境というのはありがたいもので、逆境があったからこそ

    ““なにくそっ””という持ちで困難を乗り越えることができた

 今の若者に言いたいのは、

もし金で買えるものなら、買ってでも逆境に身を置きなさいということです


 大学時代の私がバレーボールに一生懸命打ち込んだのは、

こうした逆境のなかでも「バレーだけは人に負けないんだ」

      「何か一つ負けないものを持っていないとやりきれない」

という気持ち、これがあったからだと今でも思っている。

     これが「本気で生きる」ということです』

                ふたたび“輝く雲”をつかむために  より  (「正論」6月号)

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